不耕起、無農薬、無肥料栽培、雑草はほとんど刈らずに生かす農法
目次:
- ほったらかし農業、楽に野菜を育てる
- 雑草を抜かない、という勇気
- 野菜作りの「肥料」を研究して
3-1. 植物性、動物性の堆肥、有機肥料
3-2. 枯草、落ち葉の自然堆肥、有機肥料
3-3. 無肥料栽培の道に至る - 無肥料栽培は、難しくない
- 今後の希望と展望
私は農業を、本格的にやったことがありません。
でも日本にいた時に、農業のお手伝いを少しだけしていたことがあります。その際に、自然栽培のりんごの木村秋則さんに二回ほどお会いする機会がありました。講演会のお手伝いもしました。
あれから、10年以上が経ちました。
日本では、不耕起、無農薬、無肥料栽培の考え方はかなり浸透してきていると思います。
しかし、ここニュージーランドでは有機農法は一般的ですが、そもそもこのような考え方は聞いたことがありません。
人間の体にも、環境にとっても良い野菜を作る究極的な方法とは、一体どのようなものなのでしょうか。
1. ほったらかし農業、楽に野菜を育てる
今年の3月に日本に一時帰国した際に、三重県まで足を運び協生農法の講習会を受講してきました。その時の様子を、協生農法と理論の講習会、伊勢への訪問でお伝えしています。
協生農法の特徴は、以下の通りでした。
- 経費が最小限で済む(不耕起、無肥料、雑草はほとんど刈らない。)
- 必要な労力が少ない
- 生産量が莫大 (10倍どころの話ではない規模)
- 年中いつでも収穫可能
- すぐに換金できる
- 環境への負荷は全くない
ところで、今回オンライン上で出会ったのは、このような協生農法の考え方にとても似ている、ふぁーちょ自然農法。
ふぁーちょさんの自己紹介。
- 自然農法歴45年
- 自然堆肥すら使わない、「完全な無肥料栽培」が得意
- 30〜40代の頃は”ぼかし”の使い方を徹底的に研究
- 50代の頃は”自然堆肥”の上手な使い方を何度も実践
今日はふぁーちょさんの動画をいくつか見ながら、なるほどなーと納得していたのでした。理論的、実践的で、とてもわかりやすいのです。
2. 雑草を抜かない、という勇気
今日本は夏なので、雑草の生育が早くて大変だと思います。雑草を見ると正直なところ、私はうんざりします。
庭に雑草が生えていると、見栄えが良くありません。せっかくの庭が、雑草が目立てば美しさを失います。抜いても抜いても生えてくる雑草は、まさしく厄介者です。
ところで、矢野智徳氏: 日本庭園から「大地の再生」を実践して学ぶワークショップ ですでに学びました。雑草は、全て根こそぎ取るのではなく、ましてや除草剤に頼って除去するものでもなく、活かすものだ、ということです。
しかし、そのように言われても、なかなか難しいものです。
実際に、日本庭園で雑草を抜かずに刈ることには、躊躇してしまいます。なぜなら、日本庭園でのワークショップが終わった後の庭の様子は、大目に見ても決して美しい状態とは言えなかったからです。
美的感覚からすれば、雑草は明らかに厄介者です。人間が人工的に作り上げた空間に、雑草は似合いません。
でも、農地は違います。お野菜が育つ場所は、本来、自然に近い形の方が適しているに違いありません。農地は、人間が鑑賞するための場所ではないからです。農地は、野菜を元気よく育てる場所です。
人間が主役ではなく、野菜が主役です。野菜が限りなく元気に育つために、人間は手助けをしてあげるだけだという、考え方です。
そのために、雑草は抜かずに生かして利用します。
3. 野菜作りの「肥料」を研究して
ふぁーちょさんの動画は、説明がとても丁寧です。有機肥料づくりを長年経験され、野菜作りを実践されてきたふぁーちょさんの言葉を、まとめてみました。
3-1. 植物性、動物性の堆肥、有機肥料
米糠、籾殻、木のチップ、コーヒーかす、おから、油カスなど、植物性の堆肥について。
米糠を土の中に混ぜて水を加え、堆肥を作った際に、表面ではなく中から悪臭がひどくなったことがあります。腐敗をすれば悪臭を放ち、発酵を促せばそのような臭いは消えます。発酵させて、完熟堆肥を作ることに成功しました。
また、鶏糞や牛糞など畜産廃棄物を利用して、完熟堆肥を作りました。
しかし、動物の糞には抗生物質が含まれていたり、ワクチンの成分が残っています。実際に、化学物質過敏症やアトピーで苦しんでいる人たちは、完熟堆肥であっても、その影響を受けることがあります。
結論として、このような有機肥料は完熟していても、問題のある成分は残存します。野菜を腐らせると、肥料そのものの臭いがします。野菜は肥料を与えた時はよく育ちますが、与え続けないとダメで、肥料に依存するようになります。
また、このような肥料は、病虫、害虫の原因にもなります。
3-2. 枯草、落ち葉の自然堆肥、有機肥料
人工的ではない自然の堆肥でも問題があることがわかり、枯草や落ち葉を使って自然堆肥を作りました。
そもそも、枯葉や落ち葉の原料を大量に入手するのが困難で、このような堆肥づくりには限界があり、あまり広まりませんでした。
これらを肥料として与えた場合、土の力を他のものに比べて長く持続させることはできますが、養分効果には限度があります。
また、できた野菜の味も、感動的なものではありませんでした。
3-3. 無肥料栽培の道に至る
ふぁーちょさんは、ブナの原生林を訪れた際の感動を、話されています。
人間の手が加わらない、自然本来の美しさ。枝、葉も美しく、土の香りもよく、癒されたと言います。肥料がなくても大木が育ち、ここでは溢れる生命力が感じられました。
畑で野菜を育てる作業は、人間が自然のリズムを壊してしまっているのです。 ブナの原生林のように、「土の偉力」が発揮されている世界は、生命力、生命エネルギーに満たされています。
畑に害虫が湧いてくるのは、人間が自然界のリズムを破壊した反動です。
野菜が、甘くて美味しいのは、生命エネルギーに満たされている証拠です。ふぁーちょさんは、このような様々な堆肥と野菜作りの関係から、本当の土の力を発揮させて、エネルギー溢れる元気な野菜作りのためには、無肥料栽培がポイントだという結論に至りました。
4. 無肥料栽培は、難しくない
ふぁーちょさんは、どのような土地にも応用できる無肥料栽培を極めるために、日々研究を続けています。そして、無肥料栽培は、皆さんが思われているほど難しいものではない、と断言しています。
ふぁーちょさんは、あるアルゼンチンの農場を訪ねた経験から、無肥料栽培でも大量生産が可能なことをご存知です。広大な土地で、堆肥もなく、また害虫、病気にも無縁で、生産量も大きい。しかもエネルギー溢れる、とても美味しい野菜です。
収穫物がエネルギー溢れるものならば、それを食した人間もエネルギーに満たされて元気になります。
このような野菜が世界中に溢れて、環境も人間も、元の良い状態に戻ることができたら、どんなに素晴らしいでしょう。
5. 今後の希望と展望
日本には、有機栽培、自然栽培、自然農法、協生農法、菌ちゃん農法など、様々なものが農法としてあります。自然を相手にしているのですから、明確な定義があるわけではありません。いえ、たとえ定義があったとしても、目的は同じなのですから、線引きをする必要はありません。
目的とは、人間にとっても、環境にとっても、最良な方法です。
土地によって特徴があります。そして、地域によって気候も違います。土も違えば、取り巻く環境も違う。だからこそ、そこで最善の方法を、臨機応変に応用できればいいのではないのでしょうか。
ふぁーちょさんは、無肥料栽培を、世界に伝えたいとおっしゃっています。
私も、同感です。自然本来の力を、利用させていただきながら、環境を害することなく持続可能なサイクルを作り上げていくこと。土づくり、という人間目線からではなく、自然目線で土を扱うこと。
そのような心を、世界に伝えていきたい。
微力ながらも具体的に伝えていく方法を、これからふぁーちょさんと一緒に私も考えていきたいと思っています。