里山保全とかけがえのない暮らし
目次:
里山と聞くと、なぜか懐かしさ込み上げてきます。
私は里山のあるような町で育ったわけでもなく、里山との接点はないのですが、里山という響きがとても好きです。
1. 里山とは何か
1-1. ふるさとの里
里山というと懐かしい感じがするのは、ふるさとの里だからかもしれません。
故郷は、ふるさとと読みます。ふるさととは、生まれ育った土地という意味だけではありません。本来もっと広い意味で、物事の発祥地、また源となるところ、という意味があります。
ですから、ふるさとは故郷とは書かずに、新聞では古里と表記されています。本来の意味を大切にしているからです。
心のふるさと、という表現があります。心の古里は、心の古い発祥池、源という意味です。
里山について「生物多様性保全上、重要な里地里山」という題名で、環境省は次のように述べています。
1-2. 環境省による里山
里地里山は、農地、ため池、樹林地、草原など多様な自然環境を有する地域です。相対的に自然性の高い奥山自然地域と人間活動が集中する都市地域との中間に位置し、国土の約4割を占めるといわれています。
里地里山の環境は、長い歴史の中でさまざまな人間の働きかけを通じて形成されたものです。里地里山は、食料や木材など自然資源の供給、良好な景観形成、水源かん養や国土保全、身近な自然とのふれあいの場、文化の伝承などの観点からも重要な役割を果たしています。
また、さまざまな動植物の生息・生育場所となり、日本列島の自然を豊かにする役割も担ってきました。里地里山の生物多様性がもたらすさまざまな恵みは、国民共有の財産です。
我が国の里地里山における生物多様性は、地域の自然を活かした農林業等の営みや人々の暮らし、都市住民や企業・学校など多様な主体も巻き込んだ取組などを通じて保たれてきたものであり、こうした地域の主体的な取組が重要な役割を担っています。
また環境省では、次のようにも述べています。
里地里山は、長い時間をかけて人々が自然と寄り添いながらつくりあげてきた自然環境です。我が国では、そうした環境がより身近な存在であったことから、特有の文化や豊かな感性も育まれてきました。
田んぼや小川、原っぱ、うら山など、人々が集う場所。そして草花や鳥、昆虫など、様々な生きものたちが、当たり前のようにそばにいる空間。日本には、そのような里地里山がたくさん残されています。
様々な命を育む豊かな里山里地を、次世代に残していくために、環境省は全国で500ヵ所の重要里地里山を選定しています。
里地里山とは、人の手が入らない山奥や森林と、人が集まって生活を営んでいる場所との境の部分のことです。そのような場所では、自然と共生する人間の営みが必要不可欠です。
現在、里山は放置されて荒れ果ててしまった姿を多く目にします。植物も動物も生態系が崩れ、野生動物が餌を探し求めて出没するなど悪循環に陥っています。またそのために土砂災害も起きています。私たちは、多様な生き物たちのおかげで生きていることを、もう一度考えてみる必要があります。
2. 私の里山の記憶
私は里地里山のような場所で育っていません。
子供の頃に虫を捕まえて遊んだような記憶も、ほとんどありません。しかし人形でおままごとをして遊んでいたこともありません。男の子と走り回ったり自転車を乗り回したりして、体を動かして遊んでいました。
それでも、自分の子供たちにはなぜかよく、里山体験をさせたものです。
横浜市の戸塚区に住んでいた時には、舞岡公園の近くに子供たちの保育園がありました。舞岡公園ではよく散歩したり、田植えの体験もしました。人が多く集まって住んでいるような場所でも、日本にはたくさんの里地里山は残されています。
環境省に選定された場所以外にも、たくさんの里地里山があります。
私が今回、日本に拠点を探していた神奈川県西部にも、近くには必ず里山がありました。そして地域の方たちが、保全活動をされていました。地元の方々が大切にされていることと同時に、昔のようには上手く維持できていない危機感のようなものも、感じられました。里山には、人の手が必要だと理解しています。
再び神奈川県に拠点を持てた今、私自身、もっと地域の里山を保全していく活動にも目を向けていけたらと考えています。
3. 里山保全はなぜ必要か
農林水産業の衰退が、顕著になっています。
従事者の高齢化が進み、後継者がいないことで農地を手放す人たちが増えています。耕作放棄地は急増していて、このままでは日本の食が危ないと、危機感を募らせています。
10年ぶりに日本に帰ってきて、驚いたことがあります。
人口減少の著しいある町が、太陽光パネルだらけだったのです。農地が多いこの町で、農地を手放した後に太陽光パネルの設置が進んだのでしょう。かなりショックな光景でした。
日本の美しい里山の風景が。。残念な気持ちになりました。
農地や山林を人の手で管理できなくなると、どうなるのでしょか。
それまで維持されてきた生態系のバランスが崩れ、生き物たちが住みにくい環境になります。人間もその自然の中で様々な生き物たちと共生してきたのですから、人間に大きな影響をもたらします。
林業のお話を、テレビで観たことがあります。山の木々の間伐がされずに放置されると、太陽の光が差し込まず、樹木の健全な生態系が保てなくなるという内容でした。木材として植林された人工林は放置され、木は健全な成長ができずに細くなり、台風や大雨で折れやすい。また光が差し込まないことで地面の植物の生態系も崩れ、山は保水力を失い、土砂災害を引き起こしやくなります。
日本での林業従事者の現状がどのようになっているのか、気になっています。
4. 日本の里山、海外への取り組み
環境省は、人間と自然の持続可能な関係の維持、再構築を進め、自然共生社会の実現を目指すとしています。世界に先がけて、国際機関や各国と連携しながら「SATOYAMAイニシアティブ」を進めています。次の動画は、14年前のものになります。現在では、どのようになっているのでしょう。
この動画の中で、私たち日本人が、自然と共存し一体となって、長年持続性可能な暮らしを続けてきたと話しています。
SDGsなどという言葉を最近よく見かけます。日本の今があるということは、ある時点まで、持続性のある生活をしてきたということに他なりません。
自然の摂理を蔑ろにした結果、今があります。しかし現在のような、世界的な基準での取り組みの必要性に、私は疑問を感じています。動画の14年前と今とでは、世界情勢や環境問題の緊急性において違いはあります。それでも、日本には日本の風土に合った方法があるはずです。
私たちには昔から里山がありました。そして日本は長い間、自然と共存した豊かな暮らしの中で多種多様の生物たちと上手くやってきた過去があります。
日本人として、原点に立ち返ってみるべき問題だと思います。
5. 里山を守ることは、私たちの生活を守ること
NHK が2011年度から放送している、ニッポンの里山ふるさとの絶景に出会う旅、という番組があるそうですね。
「里山 それは人と生きものが共に暮らす自然 命響き合う、美しい世界」
このナレーションに、グッときてしまいました。日本が美しいのは、里山があるからだ、と今更ながらに思います。そして豊かな文化があるのも、里山のおかげだと実感します。
ところで、こちらニュージーランドは、特に南島では大自然はまだ残されてるようです。しかし私が住んでいる北島のオークランド周辺では、少し田舎の方に行くと、人間の手によって破壊された自然の姿を多く目にします。小高い山は丸裸にされて、車を走らせていても牧草地にされた単調な景色ばかり。
ヨーロッパから人々が来てから、木々の多くが伐採されて輸出されたそうです。原住民のマオリ族は、私たち日本人の「すべてのものに神が宿る」という感覚に似たものを持っていて、自然を敬い大切にしてきました。彼らの土地が、このような姿になってしまったことは、彼らの本意ではなかったはずです。
日本人が長い間かけて作り上げてきたふるさとの自然、日本の土地は、私たち日本人が守っていかなくてはいけないと思います。
里山がもたらしてくれる恵みは、国民の共有財産なのですから。