日本神話の神々と徳島の空
目次:
- 徳島の上空に現れた、虹色の雲
1-1. 3.11震災直後の出来事
1-2. 虹色の形の雲たち - オオゲツヒメと龍
2-1. 天女伝説とオオゲツヒメ
2-2. 龍の形の雲
2-3. 龍を守っている方との出会い
2-4. 龍からのメッセージ - 日本の国生みの地と「心」
3-1. 淡路島と阿波(徳島)
3-2. 国生みと「心」という漢字
3-3. イザナミと阿波徳島 - 日本神話と私たち日本人
4-1. 日本神話は実話に基づく
4-2. 龍と天皇
4-3. 日本の未来像
このお話は、私が2011年の4月に体験した実話です。
もうずっと忘れていて、こんなこと話しても、、という気持ちはあります。でもこうして、公表してみることにしました。
1. 徳島の上空に現れた、虹色の雲
徳島県神山町の神山上空に現れた、虹色の雲
1-1. 3.11震災直後の出来事
震災が起きてから間も無く、私は子供たちを連れて徳島にいました。揉め事ばかりが続いて、少しホッとすることができたある日の朝のことです。
「元気になるには、日の出の頃の朝日を浴びると良い。」という本を図書館で読んでいました。なので早速、その日は朝早く起きて部屋から空を眺めていました。
突然、くるくると小さな何かが動いたと思うと、西の空から細い雲のようなものが何本も空高く舞い上がりました。次から次へと、まるで空にお絵描きが始まったような光景でした。お祭り騒ぎのような、賑やかさでした。それはそれは楽しくなって、空を見上げて朝からこんな気持ちになれるなんて、と喜んでいました。
お昼前に今朝のことを子供達に話したら、次女がこう言い出しました。
「虹色だったら、いいのに。」
1-2. 虹色の形の雲たち
と、その瞬間です。南側の窓の外に、虹色の雲が現れ始めました。形が現れては、消えていきました。最初は虹色の天女。羽衣を着ているような、天女の形でした。そして、鯨のカップル。最後に、UFOでした。
初めての天空ショーに、思わず親戚のおじさんを呼びに行ってしまったほどです。
私はとっさに、写真も撮りました。自分がこれだけ元気をもらえたのだからと、実は地元の新聞社にもこの話をしました。そして、小さな記事が写真付きで掲載されました。
新聞社に話をしたのは、これが私たちだけの体験ではなかったからです。この日は、夕方まで、何度も虹色の形の雲が現れたのでした。空を見上げるたびに、虹色の雲が出ていたのです。流石に気持ち悪い、と思ってしまったほどでした。
次の日の朝小学校の校長先生が、校門で子供たちと空を見上げながら話をしていたそうです。前日は休日だったので、外でサッカーか何かの練習をしていた子供たちも大勢、目撃したようでした。
2. オオゲツヒメと龍
2-1. 天女伝説とオオゲツヒメ
実はこのような虹色の雲は、虹色の光としてその後何度も目撃しました。
科学的な現象として、環水平アークと呼ばれているそう。しかし、明らかに科学的には説明できないような現象が多かったと記憶しています。
半年ほど経って、天女の意味がわかりました。
虹色の形の雲が現れたのは、ちょうど神山と呼ばれる地域の方向でした。その神山がある山の上空に現れたのでした。神山町の温泉に出かけた時のことです。神山には天女伝説というのがあって、天女が舞い降りて温泉ができたという言い伝えがあると、書かれていました。
そして、そこにはオオゲツヒメという徳島阿波の神が祀られている、上一宮大粟神社がありました。オオゲツヒメは農業の神でもあり、日本の神話にも描かれている神でもあります。オオゲツヒメと天女は、同一のものだと認識しました。
それまで私は全く、神社をはじめ、日本神話や歴史のことなどまったく興味がありませんでした。しかしその後も現象として、様々なものを見せられることになりました。
鯨について調べたところ、スピリチュアルの分野で様々な解釈があるようですね。UFOも併せると、宇宙からやってきた、ということになるのかもしれません。最初の日の空のお絵描きも、くるくる回るあれはUFOだった、と解釈すれば、辻褄が合います。
2-2. 龍の形の雲
さらに、初めての日の早朝の出来事にも、結びつきました。あの日からしばらく、私は朝、日の出の時間の前に起きて散歩をしていました。ある日、次女を連れて散歩に行くと、すぐ真上に長い雲が現れました。それを見て彼女が、龍だ、と呟いたのです。確かに鱗のような形も見えました。私は、日本むかし話のテレビでの龍しか知らなかったのですが、そうかもしれない、とその時に思いました。
それからしばらくして、自然栽培のりんごの木村秋則さんが講演に来られた際に、講演会の後にお食事をご一緒させていただく機会があり、偶然にも隣に座ったので龍のことをお話ししました。木村さんは本で、龍のことを書かれていたからです。
すると向かいに座っていた方に、龍のことを知りたければ、ある場所に連れて言ってあげると言われました。
2-3. 龍を守っている方との出会い
それから何度か、その方が山の上に住むある方の所に、連れて行ってくださいました。お部屋には、私が見たような龍の形の雲の写真が飾られていました。ある日、別の山の上にある神社でお祭りがあるからと、かなり長く続く山道を車で走って辿り着いた場所がありました。小さな神社と、山の頂上なのに大きな池がありました。昔、この山に籠って弘法大師が雨乞いをした、と話されていました。また山の上に住まわれていたその方は、ここで龍をお守りしている、とも。確かに、そのような話を聞いた直後に急に雨が降り出してきたので、おもしろいな、と思いました。龍は水の象徴です。
最初の日に見た、あの細く舞い上がった雲は、龍だったに違いありません。確かに、現れたのは、連れて行っていただいた山の方向でした。何本も、というのは、龍には色があるそうですね、詳細はわかりませんけれど、これも調べてみたらおもしろいことがわかるのかもしれません。
2-4. 龍からのメッセージ
龍は水の象徴と同時に、物質の象徴でもあります。水がなければこの世に物質として存在できません。ある方から、龍神の祝詞というものを渡されたことがありました。
高天原に坐まし坐まして
天と地に御働きを現し給う龍王は
大宇宙の根元の御祖の御使にして
一切を産み一切を育だて
萬物を御支配あらせ給う王神なれば
さらに続きます。これは当時小学校低学年だった娘となぜか呪文のように毎日唱えていたので、よく覚えています。龍は、大宇宙根源の創造神の御使、と表現されています。物質世界を支配している王神だから、龍は権力の象徴としての一面もあります。物質世界のトップ。つまり見える世界のトップという言い方ができます。
物質世界と非物質世界、見えるものと見えないものがバランスを崩した状態が現在の社会だとすれば、これもまた龍がこのような形で姿を見せているのも、必要なメッセージがあるからなのだと思います。よくよく考えてみる必要がありそうです。
3. 日本の国産みの地と「心」
3-1. 淡路島と阿波(徳島)
それまで私は、龍や天女、神話や伝説などにまったく興味を持ったことがありませんでした。徳島にいたのは2年間だけでしたが、その間になぜかこれらのことを教えてくださる方々とご縁があり、たくさんのことを教えていただきました。古事記や日本書紀の内容について、私は今でもあまりよく知らないので表現が雑になってしまいますが、どうかお許しください。
イザナギとイザナミ。日本の国産みをした、神々です。彼らが空から矛を使って海を混ぜ混ぜすると、まず淡路島ができて、その次に阿波、今の徳島ができて、という神話です。淡路島は、淡=阿波に通じる路(道)の島、ということで、イザナギとイザナミでは淡路島の方が有名です。しかし名前からもわかるように、本当は阿波の方に重きが置かれていると私は思っています。
3-2. 国生みと「心」という漢字
ところで、最近私が腑に落ちたことがあります。下の写真をご覧ください。
淡路島の国産み伝説の舞台、沼島というところのシンボルとして、上立神岩というものがあるそうです。矛先のような形、天の御柱だとも言われています。
私は、この形は「心」という字の最初の一画だと思います。形が似ていませんか。
心の最初の一点から、日本の国産みが始まりました。
見えない世界の心が物質化して、私たちの見える形として現れました。日本の国産み、つまり最初の土地としてして知られるこの伝説の岩が、心という漢字の最初の一点を現しています。
見えない世界が先、見えない心が先です。見える物質は、その後ということです。なんとも粋な計らいではありませんか。
ニュージーランドのコロマンデル
この写真は、ニュージーランドの北島コロマンデルにある岩です。この形も似ていると感じるのは、私だけでしょうか。北半球と南半球の違いはありますが、両者とも同じような緯度にその岩は存在しています。
淡路島の地形
淡路島自体の形も、なんだか同じような形をしています。
3-3. イザナミと阿波徳島
さて、話を戻しますね。イザナギを祀る神社はいくつもありますが、イザナミを祀る神社は限られているそうです。徳島の高越山の上に祀られていると聞いたことがあります。イザナミを社名とする式内社としては、徳島県の美馬郡にある伊射奈美神社、1社のみだそうです。徳島にいた時に、伊射奈美神社のお祭りにも行ったことがあります。この時も実は不思議な体験をしたのですが、、それは秘密にしておきますね。
4. 日本神話と私たち日本人
4-1. 日本神話は実話に基づく
私の2年間に凝縮された様々な体験は、日本という国について深く考えさせられるきっかけになりました。神話を忘れた民族は100年以内に滅ぶとは、あるイギリスの歴史家の言葉として有名です。(実際にそのようなことが書かれた事実はないそうですが。)戦後教育から神話がなくなって、もう80年近くが経つのですね。私が小さい頃ドイツにいた時の日本人学校の先生に、大人になってから聞いたことがあります。当時神話を授業で取り扱おうとしたところ、親たちから猛反対を受けて実現しなかった、と話されていました。
私は神話を、御伽噺のようには思っていません。おそらく実在していたのだと思います。創造神が人間がいるこの世を創るとき、どうしてもバイブレーションを下げて物質として働いてくれる存在が必要だったはずです。高天原から来た、というのは表現方法の一つで、もしかしたら宇宙から来たのかもしれません。また神という表現も、今のような人間の能力を遥かに超えた存在だったのでそのように呼ばれたのかもしれません。創造神の神ではなく、役割を持った存在たちである神々という名称。
4-2. 龍と天皇
龍が物質世界の象徴だと位置付けるなら、初代天皇の神武天皇が龍と関係していたり、神話に大蛇が出てきたりするのも、辻褄が合います。
私のようにまったく興味がなかった者が、このような現象を受け取ったのですから、彼らの存在を今こそ知るべき時代が来た、ということなのかもしれません。
そして、日本人として日本を、そしてすべてのものを大切に想う心を、忘れないでほしいという願いが込められているようにも思います。
彼らが想い描いた青写真は、きっとその通りに実現しているのでしょう。だからこそ、今、なのだと思います。
私は徳島では、天日鷲命を祖神とする阿波忌部族に関わる体験もしました。彼らなくして、今の日本の歴史を語ることはできないと断言できるほど、深い内容でした。徳島という場所は、本当に不思議なところでした。
4-3. 日本の未来像
日本には、何かがあるのだと思います。
それは、ニュージーランドに移住する前、下見で訪問した後の日本へ帰る飛行機の中での出来事でした。窓越しに、私はまた、虹の光を見ました。日本に近い場所で、その虹の光は飛行機を追っているかのように、しばらく消えませんでした。
飛行機が高度を下げ始めようとしたその瞬間のことです。大きな虹色の輪の中に、自分が乗っている飛行機の影が映りました。何とも言えない、幻想的な光景が浮かび上がったのでした。(写真は残っていないので、これはイメージです。)
日本に上陸する直前に
そして徳島を後にした最後の日、淡路島を通り過ぎるまで、あの虹の光が最後まで、私を見送ってくれたのが印象的でした。
あれからもう11年経ちますが、私はその後そのようなものを見せられたことは、一度もありません。
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