心が和む、和風邸宅に憧れて
目次:
ニュージーランドでの海外生活を初めて、11年になります。子供の頃のヨーロッパでの3年間を合わせると、14年間の海外生活です。日本を離れると、なぜか懐かしくなってしまう日本での当たり前の生活。
子供たちも大きくなり、自由な時間が持てるようになりました。なので、コロナ明けの頃から、ニュージーランドと日本を行き来する生活を始めることにしました。
1. 日本での拠点
私は、東京があまり好きな方ではありません。
東京には大学と新婚時代を合わせて、11年間いたことがあります。
東京の街は洗練されていて、モノに溢れてキラキラしていています。(10年ぶりに日本に帰った時に、そう感じました。) そして何よりも文化的。
これらは十分に魅力的ではあります。でも、ビルの合間にある緑豊かな素敵な公園の風景よりも、私はやっぱり、里山の風景があるような田舎が好きです。
そして久しぶりに温泉地の旅館の和室で過ごしてみて、やっぱり落ち着くなーと、一息ついたのでした。
実は、身内が東京の都心の駅の目の前の、マンションに住んでいます。便利快適な住環境が、そこにはあります。街並みも綺麗で、申し分ありません。私の日本での拠点は、このように東京都心にあります。
コンサートや美術館、レストラン、そして様々な商業施設。都会の文化的な生活を楽しむことができるのは、私にとっても大きな魅力です。しかし、日本での私の居場所はここではないような気がしました。だから、東京の都心からさほど遠くない場所に、別荘を探すことにしました。
2. 和風の家を探し求めて
2022年の秋、コロナが少し落ち着いた頃に私は10年ぶりに日本に一時帰国しました。条件付きでの飛行機の搭乗が、ようやく解除された頃でした。
東京の自宅からも、そして静岡県の実家からもさほど遠くなく、気軽に日帰りできる場所に絞って、物件を探し始めました。
私が最初にイメージしていたのは、質素な古民家です。
食料問題も取り沙汰されている現代、田舎に別荘を持つならば小さくてもいいから、畑も欲しいと考えていました。
古民家再生の情報をたくさん調べて、情報も持っているかもしれない地域の方たちにも連絡をして、しばらく私の頭の中は古民家のことでいっぱいでした。
まずは地域を探さなければいけません。水が美味しい場所、というのが私の優先事項でした。神奈川、湧水、調べてみると、秦野市というところが出てきました。秦野市周辺もよく探して、何度も足も運び、結局最終的に決めたのは、神奈川県の西端にある、足柄上郡山北町にあった物件でした。
物件を探し始めてちょうど一年。別荘が欲しいと思い立って三度目の、一時帰国の時でした。
3. 古民家ではなく、和風邸宅に
質素な古民家のイメージが発展して、実際に決めた物件は、和風庭園のある広い和風邸宅でした。正直なところ過去に、家を所有することで精神的な重荷を感じたことがあります。
人間は、いくら広いと言ってもこんなちっぽけな土地と家のために、なぜ必死になって働くのだろう。土地なんて表面だけのことで、空は誰のもの?、、などと考えたりしたものでした。横浜市に自宅を購入したこともありますが、結果的に1年半も経たずに、私たちは横浜を離れました。
自宅を売却してからの賃貸生活は、とても気楽でした。ニュージーランドに来てからもオークランド市内でなぜか10年のうちに7回も引っ越しを繰り返してきました。その度に増える一方の娘たちの荷物が片付いて、家の中も綺麗になり、スッキリする感覚がたまらなく心地よかったのです。
そんな私が、懲りずにまた日本に家を購入しようなどと考え、さらにまた懲りたはずの大きな家に決めてしまったのですから、おかしな話なのです。でもなぜ決めたのか。それはあまりにも和風邸宅が魅力的だったから、に他なりません。
4. 国際文化交流の場としての和風邸宅
それまでは湧いてくることのなかった、イメージがありました。直感的に、ここならばたくさんの人が集まって喜んでもらえるような場所になる、と感じました。古民家を探しながらも、やはり煌びやかさもある和風邸宅に憧れていたことを自覚しています。
ニュージーランドで、文化交流を長年されてきた日本人の方にお会いする機会がありました。日本に一時帰国する、少し前のことでした。和風の別荘を探しているから、将来的にはこちらの人たちを、そこに招待できるかもしれません。そのような話をしていました。そして、実現に一歩近づきました。
海外の方たちをお連れして、十分に喜んでいただけるような和風邸宅です。落ち着いた雰囲気の中に、上品な華やかさがあります。
昔は農家だった今までの所有者が、代々大切にされてきた場所だということが、よくわかります。建物はもうすぐ築30年ですが、隣接する倉庫はかなり古いもののようです。倉庫の2階に、小さな蚕部屋があります。
5. 日本の文化について、あまり知らない日本人
和風邸宅を目の前にして、私はふと気づきました。私は日本人なのに、日本の文化のことをあまり知らないのです。外国の方に、何か説明を求められても、答えられるほどの知識を持ち合わせていません。そして、茶道の先生をして自分で着物も着ていた母に比べて、私には和に関する経験がほとんどありません。
和風邸宅には、松と池の日本庭園もあります。
松の木が9本もあります。最初の印象は、手入れが大変そう、ということでした。私のような年代は、ふつう面倒なことは好みません。もちろん、和風庭園のことなど、まったくわかりません。なぜ日本庭園に松の木が一般的なのか、松の木のどのようなところに魅力があるのか。さらに、どのような松の木が貴重なのかなど、私はまったく知りません。
また、池の魅力についてや、その管理方法もわかりません。どのように水を循環させて、綺麗な状態を保つのでしょう。
建物についても、「素敵だな~」という印象はあっても、私はほとんど何も知りません。まっすぐに長い立派な柱は、どのような木材なのか、なぜそこに使われているのか。この木材たちは、ここでこうやって家の一部になるまでに、様々な人の手が入り、様々な人の想いがあって存在しているのだと思います。ここにあるという結果だけでなく、そこに至る作り手の人たちの想いを知りたいと、私は強く思うようになりました。
6. 日本の文化の中心には、人の心がある
「ほんものはシンプルで美しい。」
このようなキャッチフレーズで始まる、宮大工の建築会社のHPを昨日見つけました。神奈川県伊勢原市にある、花升木工です。読み進めていると、なんだか気持ちがほっこりとしてきます。きっと素敵な建物を建てているのだろうな、と思います。
この会社は海外でも茶室など和の建物を手がけているということで、何年か前にも目に留まった記憶があります。ここで、HPの一部をご紹介します。
[ 精神統一した心で造る家 ] は善い氣に包まれるのが解ります
日本の木の家の氣は人間にさまざまな良い影響を与えてくれます。その木を見抜く力は、長年現場に出ている職人の勘です。毎日現場で木材と大工道具と土地に寄り添って、木と道具に心を通わせ、木のくせや良さを見抜き木材の良さを最大限に引き出します。
永遠に存在し続ける大地の上に、自分より何百年も年上の木々に刃物を入れる時「命」に尊敬と感謝する気持ちが自然に湧き出てきます。刃物を研いで、刃物と砥石がピタッとくっついた瞬間に精神が統一されるのを感じます。「研ぎ澄まされた感覚」です。日々、現場で心と感を磨き続ける、つまりは、形ある五感の先に存在する目には視えない部分が宮大工の醍醐味です。
その道に真摯に向き合ってこられた方の言葉は、とても温かくて深いです。目には見えない心を大切にされている点が、和の文化の醍醐味なのだと私は思います。
そのような心を、私は知りたいのです。感じられるものなら、感じてみたいものです。しかしこのような感覚は、長年に渡って、真剣に純粋に向き合ってこられたからこそ得られる、境地なのでしょう。
職人魂というものに、私は昔から憧れているところがあります。
このような方々の和の心を、「和の学び」の中でお伝えしていけたら、と考えています。