伊勢神宮外宮と「生きる」意味
目次:
1. 伊勢神宮を訪れたきっかけ
伊勢型紙の三重県鈴鹿市白子を後にして、夕日が綺麗な景色を眺めながら、伊勢市の方へ電車で向かいました。伊勢市を訪れたのは、25年ぶりになります。今回は伊勢市駅の近く、伊勢神宮外宮に徒歩で行ける場所に泊まりました。
翌朝は6時半過ぎに、伊勢神宮外宮に散歩に出かけました。伊勢神宮に行くのは初めてです。25年前に伊勢に来た際には、目の前の食堂で昼食を食べながら眺めていただけでした。
今回行ってみようと思い立ったのは、13年前の徳島での出来事を思い出したためです。
オオゲツヒメが、伊勢神宮外宮の豊受大御神と私の中では一致したのです。日本神話について、私は全く詳しくありません。よく知る人にとっては異論も多々あると思います。名前としての様々な神様の表現方法は異なりますが、私は元々出処は同じだと考えます。食べ物、衣食住の神様というのは、オオゲツヒメも豊受大御神も同じです。そういくつも分かれているはずも、ありません。
伊勢市で協生農法の講習会を受けるに当たって、食の象徴的な存在が祀られている神社が近くにあるということに、私は必然性を感じました。
行ってみなければと、そう思いました。
伊勢神宮は、日本の神社のトップです。そこに天照大御神と豊受大御神が祀られています。天照大御神だけでなく食の女神が祀られているのは、なぜなのでしょう。
2. 伊勢神宮外宮に祀られている神
入り口の看板には、次のような文章が書かれていました。
豊受大神宮(外宮)
御祭神 豊受大御神
御鎮座雄略天皇二十二年
豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です。
約千五百年前の雄略天皇の御代に丹羽国(現在の京都府北部) から天照大御神のお食事をつかさどる御饌都神としてお迎え申し上げました。
御垣内の御饌殿では、毎日朝夕の二度、天照大御神の神饌をたてまつるお祭りがご鎮座以来絶えることなく行われています。
御遷宮は内宮と同じく二十年に一度行われ、平成二十五年十月五日に第六十二回式年遷宮が行われました。
入り口を入って左手に、勾玉池を眺める休憩所がありました。奉納舞台ではどのようなことが行われているのでしょう。凛とした雰囲気の中で、ほっと一息つける場所になっています。
そしてその隣に、手水舎(ちょうずや、てみずや) がありました。
手と口を洗い、お清めをします。綺麗にしてから門をくぐる習わしには、どのような意味があるのでしょう。両手を清めて口をすすぐことにより、心(魂)も洗い清めるという意味があるのだそうです。
みなさん、お辞儀をしてから入られていました。そして帰ってきた時も、一礼をしていました。そのような礼儀正しさに、日本に一時帰国して改めて日本らしさを感じました。
鳥居をくぐって表参道を進むと、右手に看板がありました。
神宮の由緒
日本人の心のふるさとー「お伊勢さん」の名で親しまれている神宮は、皇大神宮(内宮) 豊受大神宮(外宮) を中心に十四所の別宮と百九所の摂社・末社・所管社からなりたっています。
ここ、外宮のご祭神である豊受大御神は、天照大御神の御饌都神(食物を司る神) で衣食住を始めすべての産業の守護神として、崇められています。
年間千数百回に及ぶ祭典では、皇室の繁栄と国の隆晶、五穀の豊穣と国民の幸せを願って、祈りが捧げられています。
正宮では、みなさんお参りをしていました。門の中では撮影禁止なので、外からの風景です。私は遠くから一礼をして、後にしました。
3. 神社にお参りするのは、なぜ?
以前から、私は疑問に思っていたのです。お賽銭をするから、またお供えものをするからご利益がある、というのは違うのではないかと。神様が、物で人を区別して贔屓をするわけがありません。
そしてお祈りは、他力本願ではなく自力で。
正宮の次に、少し歩いて風宮と土宮へ。さらに階段を登って、小高い丘の上にある多賀宮へ行き、伊勢神宮外宮を後にしました。
寒くてお腹が空いたので、こんな時はお粥がピッタリ、と思っていたら早速左手にお食事処がありました。もう直ぐ開店のため、人の列ができていました。お粥の定食のメニューがありました。
伊勢市駅から伊勢神宮へは、外宮参道を通ります。その通り沿いの提灯と素敵なお花が、印象的でした。
旅館でチェックアウトを済ませてから、近くのバス停へ。
4. 日本が見えない
バスを待っている時に、ふと見かけたポスターにすっかり引き込まれていました。
日本が見えない 詩 竹内浩三
この空気
この音
オレは日本に帰ってきた
この音
この音オレは日本に帰ってきた
帰ってきた
オレの日本に帰ってきた
でも
オレには日本が見えない
空気がサクレツしていた
軍靴がテントウしていた
その時
オレの目の前で大地がわれた
真っ黒なオレの眼しょうが空間に
とびちった
オレは光素(エーテル) を失って
テントウした
日本よ
オレの国よ
オレにはお前が見えない
一体オレは本当に日本に帰ってきているのか
なんにもみえない
オレの日本はなくなった
オレの日本がみえない
出典 「竹内浩三全作品集 日本が見えない 全一巻」(小林察・編、藤原書店)
詩「日本が見えない」は大学時代のドイツ語の教科書の見返し(裏側) に書かれていたのを、2001年、研究者によって偶然にも発見されました。
書籍に掲載されるや、マスコミや人々から大きな反響が寄せられ、この詩に共感しや同世代の作家たちにより小説やノンフィクションが発表されました。
竹内浩三はわずか23歳の短い人生の中でたくさんの詩や日記、同人誌、マンガ、手紙を残しました。亡くなってから77年になりますが、作品は色あせることなく、今を生きる私たちにそっと語りかけてくれます。コロナ禍で苦悩する日本。浩三さん、今の「日本」が見えますか?
竹内浩三 1921~1945
宇治山田市(現伊勢市) 吹上町の竹内呉服店に生まれる。映画の道を目指して日本大学専門部映画科に入学するが、23歳の若さでフィリピンで戦死。残された詩などが今も多くの人に読み継がれている。
5. 「生きる」意味と天岩戸開き
人間が生きているいつの時代も、何かがおかしいものなのだと思います。竹内浩三さんが生きた時代は、戦争がありました。戦争がなければいい時代なのかと言えば、そうではありません。私は戦争を経験していませんが、それを実感しています。
その時代時代によって、狂っている度合いこそ異なります。しかし、人の一生の中で常に平穏無事な毎日を送れることは、まずないと言ってもいいのでしょう。世界、国、個人レベルにおいて、生きるとは、そういうものなのかもしれません。
その中で私たちひとりひとりが、どのように生きていけばよいのか。
それは、今回の伊勢神宮に繋がります。
伊勢神宮は、日本のすべての神社の上に立つ最高位の神社で、日本国民の総氏神です。皇室の御祖先の天照大御神をお祀りしているは伊勢神宮の皇大神宮(内宮) です。(今回私は内宮を訪問していませんが。) 皇室の先祖が天照大御神、そして伊勢神宮は、日本人の心のふるさと。
そうであるならば、すべての人の心は、天照大御神という象徴的存在に起因しているということになります。ひとりひとりが、太陽神と言い換えることができます。
そして天岩戸開きは、天照大御神の子である、私たちひとりひとりが行うものなのだと、私はそう感じています。