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幸せの本当の意味

目次:

  1. 人は、何のために生きているのか
  2. 幸という字を逆さまに
  3. 幸という漢字の意味
  4. 幸せはバランスなくして成立しない
  5. 人間の本当の姿
  6. 幸せの未来像

1. 人は、何のために生きているのか

人間は何のために生きているのだろう、と言う問いに、堂々と即答できる人は少ないと思います。程度の差こそあれ、苦しい体験をしないで生きられる人は、一人もいません。

ならば、楽で楽しい人生ばかりがいいのかと言えば、それでは人間として成長できません。

幸せの感じ方は、人それぞれに違いますが
人間は誰しも、幸せを求めて生きています。幸せが何かもわからずに、探し求め続けて毎日を生きています。

幸せのヒントは、実はこの「幸」という漢字ひと文字に、完全な形で表現されています。

余談になりますが、幸の字の成り立ちを調べてみると、象形文字で人間が手錠をかけられた姿だと書かれています。手の自由だけを奪われる刑はまだ幸せのうちだった、などと言います。

本当に、そうなのでしょうか。

この字を作った人間が、何のために生きているかという人生最大のテーマを表現しようとするのに、そのような意味を込めたとは、私には到底思えません。

2. 幸という漢字を逆さまに

幸という漢字をよく見て、それを逆さまにしてみてください。真ん中のちょんちょんの向きはちょっと変わってしまいますが、ひっくり返しても同じ幸という形になります。

不思議です。なぜ、上下逆にしても同じなのでしょうか。

では幸という字と、地面を重ね合わせてみてください。上の土と下の土。地面の上にある土は私たちの目で見ることができますが、地面の下にある土は、見えません。
真ん中のちょんちょんは、大地の境、表土の部分です。見えている世界と、見えていない世界の接点、そこに何がいるのかと言えば、表土にいる微生物たちです。

二つあるので、好気性微生物と嫌気性微生物です。

微生物を中心に
土の上は、私たちが見えているすべてのもの、
土の下は、私たちには見えていないすべてのものがあります。

「幸」は微生物を中心に、この世のもの全てを表しているということになります。

3. 幸という漢字の意味

見えるもの、見えないもの、全て。
それを逆さまにしても同じ、ということには、二つの解釈があります。

一つ目は、見えるものと見えないものは同じ、つまりひとつだということ。
(仏教の般若心経 色即是空 空即是色 色心不ニで表現されています。)

二つ目は、その見えるものと見えないもの、陰陽のバランスがとれた状態のこと。
そこに、本来の幸せの意味が隠されているということです。

私たちが今生きているこの文明社会は物質文明と言われるように、見える「色」ばかりに気をとられて、「心」という見えないものを疎かにしている社会です。科学でもそのほとんどは、見えないものはないものとして扱われてしまっています。だから、医学が発達したといいながら、病人は増える一方です。

見えないものを無視している限り、現代科学で解決できるものは、一つもありません。

4. 幸せはバランスなくして成立しない

私たちが生きている現在の環境、そして身近な周囲を見回してみてください。

見えないものはないものとしているので、土にいる微生物たちのことなどお構いなしに、平気で農薬を撒いて殺しています。

空気も見えないものなので、いくら汚してもあまり気にしません。ですから、地球上の空気も水も土も、汚染だらけです。人間も、心身のバランスを失って途方に暮れているではありませんか。

この世界は、微生物無くしては成立しないことを「幸」の字は教えてくれています。

5. 人間の本当の姿

人間は、見える肉体を持っていると同時に、霊的な存在でもあります。心は見えませんが、確かに存在しています。

私たちは、お金をたくさん稼いで物質を他人よりも多く得れば幸せだと勘違いしていますが、幸せは見えている物質から得られるものではなく、心が感じるものです。見える物質の世界に傾き過ぎて、見えないものが蔑ろにされ過ぎてしまっています。

では「幸」の字の真ん中の2つを、好気性菌と嫌気性菌の微生物の代わりに、自分という人間を中心に考えみましょう。

真我と自我。

見える肉体の自分と、見えない霊的な自分の中心に、自我と真我があります。自我は、自分を自分だと思っている自分。真我は、真の我、本当の自分のことです。

自我と真我を合わせ持った存在が、本来の人間です。

自我と真我の自分が、自分そのものになり、バランスを保った時、自我人間というレベルを超越した、素晴らしい人間本来の潜在能力が発揮されます。

6. 幸せの未来像

幸せな未来のために
幸せな未来のために

私たちは、自分自身がバランスを失っては決して幸せにはなれません。自然環境や社会もバランスを失えば、幸せになれないどころか今やこの文明の存続さえ危ぶまれる事態です。

この先、このままテクノロジーが進み、世の中を救えると思えるような発明発見があれば、本当の幸せはやって来るのでしょうか。

いいえ、見えるものと見えないもののバランスが崩れたままでは、人類にとって、また個人にとっても、本当の幸せは永遠にやってこないと思います。

見えないもののことを追究していく、科学が必要です。是非、微生物たちのこと、そして自分自身の心の中心に、意識を向けてみてください。

幸せはひっくり返っても、幸せです。不幸だと思えるような出来事も、本当の幸せを知るために一時的に必要なことだったと思える日が、必ずやってきます。

「幸」という漢字が、私たちにそのことを教えてくれています。