文化と芸術の国際交流組織、今後の活動
目次:
一年半前からの想いが、いよいよ設立と活動の実現に向けて、ここニュージーランドで一歩前進することになりました。
1. 想いとミッション
豊かで美しい自然に育まれながら
人々の暮らしの中で生まれた文化は
人生を豊かにし、人間の感性、創造力を育てます。
科学、情報通信技術が急速に発展しているこの現代社会において
大切に受け継がれてきた文化を楽しみ
多様な民族の独自性をお互いに理解して、尊重し合うことは
真の豊かさを求める、人類の真の発展、平和に繋がると、私たちは考えます。
四季があり、海に囲まれ、豊かで美しい自然に恵まれている
ニュージーランドと日本。
文化も芸術も、その源は自然にあります。
日本は、世界最古の国です。
サステナブルの象徴である、本来の日本の文化や芸術
そして、その心を
文化芸術の国際交流を通じて
ニュージーランドの人々にも、お伝えしながら
心身ともに健康で幸福な
真にサステナブルな「豊かさ」を
共に追求して実現していくことを使命として、活動していきます。
2. 活動の根本にあるもの
「文化と芸術の源は、自然にある。」私は、常々そのように感じていました。
画家の遠藤剛熈さんが、次のように記されています。
自然に帰れ、共生の芸術の創造活動。
芸術の源は自然です。自然は尊厳で永遠です。
自然は全ての芸術家に、無尽のものを与え得るほど豊かです。自然に代って、芸術の源となり、範となるような、力も権利も、人類は永久に持つことは出来ません。人間が芸術を創造するという。自然は常に創造しているのです。
無限な自然に全面的に服従し、忍耐強く自然を研究して、そこに作者の人間の魂を入れるのが、健全な芸術です。常に語るものは自然であり、聴くのが人間です。現代はこれが逆転した。自然を深く見ず、自然の声をよく聴かず、勝手気ままなことをしゃべりまくっています。
太古において、人間の芸術的な創造は、全ての生命の父母である自然から生まれました。現代は科学技術を万能と過信しがちな物質文明の時代です。
しかし今後いかに科学技術が進歩しようとも、人間が自然、宇宙を創ったのではないのだから、人間が自然を完全に支配することなど永久に出来ない。所詮人間は自然・宇宙から生じた生物の中の一つであり、自然・宇宙の中の微少な存在です。
然るに父母なる自然に背き、自然を破壊する人類の愚行はとどまることを知らない。
人間がつくった科学技術の悪使用によって地球の全ての生命が滅亡の危機に直面している今日、自然の命を慈しみ愛する心こそ何よりも大切なものです。科学で自然を征服するという近代人の思い上がった人間知の愚かで狭量な排他闘争の思想ではなく、自然の諸存在と生命を等価値と見て分け隔てなく畏敬することが、現代において最も大切なことです。「草木山川大地悉皆佛性、森羅萬象悉有神性、一切衆生全人類平等智。」という古来からの東洋人の思想は現代において重要なものとなっています。
この心をもって芸術家は自然の研究に全生涯を捧げなければならない。
人間のわずかな才能を驕り、霊感や神来に頼ってはならない。芸術家の資格は誠実と努力、意志と忍耐です。
絵画や彫刻などは視覚と触覚によるものであり、音楽は聴覚によるものです。文学は抽象的な文字によるものです。頭脳、眼、耳、手などは人体の各部分です。偉大な芸術作品は各部分ではなく、全身全霊をもって創作されたものです。
尊厳な永遠な自然に全力をもって立ち向かい、自然の対象を傍観せず懸命に凝視し、自然の根源生命と芸術家の人間の生命が合体したものです。機械化しヴァーチャル化していく現代、現実の自然との直接性、生きた感動と感覚の回復が肝要です。
3. 組織としての主な3つの役割
*日本の美術品、伝統工芸品等展示、販売、イベントの場の提供
*日本の文化体験の場の提供
*ニュージーランドと日本、芸術と文化の架け橋
そしてエッセンスとして、食と農業はサステナブルな社会には欠かせないものなので、この分野についての場の提供も、検討していきます。
例えば、藍。
藍は世界最古の染料で、世界各地で親しまれてきました。
薬草としての力も注目されており、環境を汚さないサステナブルなものでもあります。
そして、ジャパンブルー、平和と調和を象徴する「藍」。
アトピーなど皮膚のトラブルにも優しく、傷の化膿を防いで癒し、さらに人の心までも癒す力がある植物です。
ニュージーランドでも、日本の藍染めを楽しむ交流ができたらいいな、と想像しています。そして、世界の国々の伝統的な天然染色のことも、知りたいです。
また、無肥料、無農薬、不耕起栽培の概念もとても大切なことなので、微力ながらも広めていきたいというビジョンを持っています。
4. 明るい未来に向けて
ニュースを見れば、暗い話ばかりです。人々を脅したり、不安にさせたり、コントロールしようとしたり。こんなにどんよりとした気持ちで、明るい未来を築くことができるのでしょうか。
情報は情報として、私は淡々と受け止めることにしています。
情報戦はいかに負の感情に人々を陥れるか、ということが狙いですから、そんなことに引っ掛かる必要はないのです。
だからと言って、本当の情報は身を守るためにも大切なので、受け止めます。
ただそれを、流すこと。いちいち噛み砕いて、不安になったり、憎悪の感情を自ら助長させることほど損なことはありません。
人間は、極端な物質主義に陥ってしまいました。自然とは何か、人間とは何かという根本的なことを見失い、物質の背後にある見えないものを無視し続けています。
中庸に戻らない限り、これ以上科学の発展などあり得ないし、健康で文化的な生活を取り戻すことなど不可能です。
人間の思い上がった言動は、もうそろそろ終わりにしてもいい頃ではないのでしょうか。
自然あっての人間社会。
どこまで深く、自然と交わり観察し、リスペクトし、美しいものをより美しく、表現していけるのか。
そして、人間自身も本来の自然のような、共存共栄の循環型の社会を創造していく意志があるのか。それなくして、もうこれ以上、この文明社会は持続できないほどの危機的状況にあるのは、明らかです。
今こそ、意識的な転換が、必要です。