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ニュージーランドに来て、まもなく12年になります。
私たちに何ヶ月か遅れて、ニュージーランドに移住してきたご家族がいました。子供たちが同じ学校だったので、しばらく交流がありました。
私たちが別の地域に引っ越して学校も転校し、それからお会いしたのはもう5年以上前のことです。うちの子供たちも小さかったですが、彼女の下のお子さんは私の記憶の中ではまだ4歳のままです。もう、高校生になったとのこと、早いものです。
昨日、お母さんと久しぶりに再会しました。
お伝えしておきたいことがあったからです。私はおそらく、来年には日本に帰国します。なのでその前に、会ってお話ししておかなければ、と思ったことがありました。
海外にいても、私たち日本人は日本のことを気にかけています。自分の祖国のことを、嫌う人などいません。それぞれに事情があり、考え抜いた末に、海外で生活することを選択したという経緯があります。
日本に一時帰国すると、その変化に驚かされることがよくあります。お互いに共通していた認識は、
「日本が、日本ではなくなっていく様子を見るのが、悲しい。」という現実です。
確かに、うちの娘が日本の大学院に入学することを考えた時、調べてみると、日本国籍を持っていると不利なのです。海外生活を経験して、英語が当たり前のように使えて、本来ならばそのような若者が日本に帰国して、日本のためになるような高度な教育を受ける機会を与えられても、問題はないはずです。
しかし、外国籍ならば優遇されるという現実があります。日本の国の教育機関なのに、なぜなのだろうと、驚かされます。国立の有名な大学の大学院は、今や海外からの学生たちで溢れているそうですね。「日本が、日本でなくなっていっている」現実の一つです。
電車やバスに乗れば、日本語でない文字やアナウンスが当たり前のように流れて、一体ここはどこの国だろうと驚かされます。周囲を見渡した時の光景も、もうかつての日本ではありません。
こちらで、あるお国から来られた当時の大家さんと、闘ったことがあります。
日本への留学経験のある彼女の、日本人である私たちに対する言動が、常軌を逸脱していました。あることがきっかけで、それが明るみに出たのです。
言葉の問題も考慮して、知人に通訳を頼み、彼女のお国の言葉で話を伝えてもらい、相互理解を図りました。それでも理解してもらえず、(言葉の問題ではなかった。)その家から離れるため引越し先を見つけながら、こちらの賃貸問題専門の公的機関に助けを求めて、文章で証拠を残しながら、解決に至りました。
ただ、公的機関がどこまで現在も正常に機能しているのか、正直なところわかりません。
例えば最近では、飲食など周辺の商業施設での盗難が、頻繁に聞かれるようになりました。地元の警察は犯人を捕まえる気などない様子で、被害は増すばかりです。公的機関がどこまで正義の味方をしてくれているのか、そういう意味では世界中混乱の最中にあるのではないのでしょうか。
さて、話を元に戻しますが、私たち人間はどうして平和に仲良くできないのでしょう。
そもそも、元々考え方が根本的に違うのです。それぞれの立場も、もちろん違います。大家とのケースでは、私が育った日本での常識と、彼らの常識が、全く違いました。育った国の環境によるものかもしれませんし、そうではなく個人的なものだったのかもしれません。いずれにしても、話し合いなどはできず、また、仲良くなんて甘いことを考えていたら、いつの間にか相手の思うままに事が運び、こちらが一方的に悪者扱いされて理不尽な結果になりかねませんでした。
私は、現地での法的な決まり事を調べて提示し、それに従ってほしいと、一環してその主張を貫き通しました。それでもなかなか理解してもらえない。ストレスフルな状態が、しばらく続きました。
最近では、法的なものまで常軌を逸脱していることが多々ありますから、秩序が乱れるのも無理はありません。
もし日本で、日本の常識が通用しなくなれば、衝突や混乱があちらこちらで起きるでしょう。日本人が、日本で、安心して送ることができない日常生活に、一体どんな意味があるというのでしょう。
日本に一時帰国すると、思わず「日本は、こんな風ではなかった。」とため息が出ることがあります。目に入ることだけでなく、日本人の心自体まで大きく変わってしまっていることに、驚かされることがよくあります。
かつての日本は、どこに行ってしまったのだろう。
日本に帰りたくても、もうかつての日本はそこにはない。だから、日本に帰国するという選択肢が、遠のいていく。そんな彼女の気持ちに、共感していました。
「私たちに残されるのは、何だろう、文化しかないよね。」
日本人が受け継いできた文化の中に、いかに大切な意味が込められているのか。自然を大切にしながら、それを表現して、心豊かに生活をしてきた私たちの祖先に対して、私も同じ気持ちでいます。日本を離れて気づく、日本の大切さ。そして、それらを失って初めて気づく、その大切さ。
これから、私たちに何ができるのでしょうか。どんな未来を、表現していくのだろう。日本人の日本らしさが失われた時、世界はますます混乱を極めていくことでしょう。無秩序の中に、平和はありません。
昨日は、感覚が近い人と久しぶりに「日本への想い」を共有できて、よかったです。突き抜けるような青空の中、ビーチで真っ青な海を眺めながら、近くでテイクアウトしたgimbapを頬張っていました。
束の間のひとときを、どうもありがとう。