西洋医学の限界を越えたところにある療法〜 芸術療法・アートセラピー
目次:
- 私が芸術による「癒し」を実感した瞬間
- 海外にも日本の芸術による「癒し」を届けたい
- 「癒し」とエネルギーがテーマ
- 「癒し」の力は、どこにあるのか
4-1. 自然治癒力というエネルギー
4-2. 物質、精神両面からの「癒し」 - 芸術療法、アートセラピーとは
- 私がなぜ、和紙の芸術に惹かれるのか
- 心技体と「癒し」
1. 私が芸術による「癒し」を実感した瞬間
私はこの2年間「和紙」をテーマに、興味の赴くままに多くの方々にお会いしてきました。2年前といえば、コロナであまり外出ができなくなり、閉塞感が漂っていた頃のことです。あることがきっかけで、パソコンの画面上で眺めていた「和紙」の作品に、温かいものを感じたのです。心が癒された、と言っても過言ではありません。
それからというもの、手漉き和紙の作家の方、木版画の摺師の方、伊勢型紙彫師の方、和紙写真の写真家の方など、日本に一時帰国するたびに、日本国内を回ってお会いする機会をいただいてきました。
このように多くの方々にお会いしてきた理由は、ニュージーランドで日本の伝統芸術を紹介したいと考えたからです。
日本では当たり前のように存在しているものなので、その素晴らしさになかなか気づくことができないかもしれません。私もずっと日本にいたならば、おそらくほとんど興味を持たずに過ごしていたことでしょう。ですが、海外生活をしていると、改めて日本の良さを知ることになります。比較してはじめて、その違いを認識できます。
2. 海外にも日本の芸術による「癒し」を届けたい
そのような経緯から、私は海外在住の者として、何かできることがあるのではないかと考えたのです。まずは存在を知ってもらい、その素晴らしさを共有して、楽しんでもらいたい、そのような気持ちが芽生え始めました。
既存の組織、関係者に連絡したり、現地のギャラリー、アートショップを回ったり、自分の生活圏の範囲でできることを、日本と同時に進めてきました。
そして昨年末、まだ2、3週間前のことですが、新たに文化芸術交流組織を立ち上げるために組織の登録をするまさにその直前で、実はストップになってしまいました。言いたいことはたくさんありますが、ここで詳細をお伝えすることはできません。一言でいえばタイミングではなかった、という結論です。
もし本当にこのような組織が必要とされるのならば、必要なタイミングで、また復活するお話しになるのかもしれません。
3. 「癒し」とエネルギーがテーマ
ところで、私はこの2年間の自分の行動を、自分でもよく把握できないでいました。興味の対象が、ひとつではないからです。伝統工芸、和紙を使ったアートにのめり込む反面、自然に沿った農法を実践されている方に会いに行ったり、また音楽でも新たな出会いがありました。
この「和の学び」のブログを見ていただいてもわかるように、特定のテーマの専門ではありません。日常生活を、伝統的な和の文化や考え方をヒントに、学び、体験し、豊かな心を取り戻してみませんか、という提案のためのブログです。
バラバラなテーマのコアになる部分が、いまいち掴みどころのない形になっています。これでは読者の方も、戸惑っていたに違いありません。
ふと、私は何を本当は伝えたいのだろうかという想いが浮かび上がってきました。そして、それは「癒し」についてだったということに、今さらながらに気付かされたのです。
ここで言う「癒し」とは、一時的、物質的なものではなく、「心が根本的に癒される」ものです。2年前に和紙の芸術作品を画面上で見ただけで癒された、あの時の感覚は一体何だったのだろうと、振り返ります。確かに私はあの時、作品から温かいエネルギーを感じたのです。心が癒される、エネルギーをいただきました。
私はこの「和の学び」を、「エネルギーと癒し」をテーマの中心に、書いていることになります。それは、伝統文化、芸術、日常生活における衣食住、医学、環境、農業などの分野に及びます。
そして「癒し」とは、自然治癒力という文字に現れている「癒し」のことを指します。
4. 「癒し」の力は、どこにあるのか
4-1. 自然治癒力というエネルギー
物質的な肉体、病気が癒えるという意味もありますが、元を正せば見えないエネルギーが満たされる、整うことによって正常な状態になることを「癒し」と言います。世の中の流れでは、肉体に現れた病気を治すことばかりに着目しがちですが、本来人間も自然界も、健康であることが正常な状態であるはずです。
では、なぜ病気になるのでしょうか。それは、本来の自然の状態から離れてしまっているからです。現代社会では自然のエネルギーから離れた生活を送っているので、そのエネルギーの恩恵に預かることができにくい状態に置かれています。
化学的な薬などがたくさん存在していて、癒すきっかけを与えてくれますが、薬自体に癒す力はありません。自分自身の自然治癒力、つまり自然のエネルギーにのみ、癒す力が存在しています。
ですから私たちは、自然とは何かということを、もう一度根本的に見直す必要があります。
4-2. 物質、精神両面からの「癒し」
「癒し」には物質的なアプローチと、精神的なアプローチの両方があります。例えば、薬は物質的なものです。薬を飲んで痛みがなくなり、精神的に楽になったら病気が治った、このような場合は精神的なものが加わります。プラシーボ効果というものは有名で、実際に科学的に効果の根拠がないものでも、「効果がある薬」だと思い込んで摂取すると、癒しの効果が発揮されます。
つまり、「癒し」には、精神的なものが優位に働くことが実証されているのです。それなのにも関わらず、肉体のみに対処する療法、手法が一般的です。確かに、精神的な心理療法なども存在しています。しかし宗教家やスピリチュアル的な活動家も、根本的には、癒しの正体であるエネルギーについて、科学的に言及している人はほとんどいません。
5. 芸術療法、アートセラピーとは
芸術療法、アートセラピーというものが存在することを、実は今まで知りませんでした。
リハビリ、発達障害の子供たちの発達支援、認知症防止を目的にしたもの、また、心理療法の一つとして「表現をする」心の病気の治療が行われているようです。芸術療法、アートセラピーは、表現活動を通じて得られる、心の「癒やし」という定義です。
アメリカやイギリスなどでは、医療や福祉、教育の場などで、アートセラピストの専門家による芸術療法、アートセラピーが盛んに行われているようですね。
私は、療法という言葉が好きではありませんが、芸術療法は感覚的に納得します。
人間は、何かしら表現をしながら生きています。表現者でない人は、一人もいません。表現の源には、その人の心があり、その心を表現する手段として、芸術があります。
私も、一年ほど前にこの「和の学び」を娘に作ってもらいましたが、それは久しぶりに外に向けて「表現」をしたくなったからです。それが文章であろうと、絵画であろうと、自分の思っていることを表現する、という行為は人間にとって自然なことです。
ですから、「こうあるべき」というものを強要されれば、人間は自然から離れて苦しくなります。自然から離れるというのは、本来のエネルギーを奪われるということです。
芸術としては、様々な手段があります。
自分が好きで得意な表現手段を選択することで、自由な表現を発揮でき、より効果的な「癒し」に繋がります。
6. 私がなぜ、和紙の芸術に惹かれるのか
和紙の芸術だけではありません。伝統工芸品の中に、単なる工芸品としてではなく美術品、芸術品として心打たれるものが、日本には数多く存在します。例えば、和紙の多くは植物の自然素材でできています。それを、作家、工芸士、芸術家の方々が、真剣に技を使って表現して、作品が完成します。素材としての自然のエネルギーと、人間がその作品に込めたエネルギーが見事に合わさって、ひとつの作品が仕上がります。
心打たれるもの、感動するものからは、そのようなエネルギーが、伝わってきます。
日本には「心技体」という言葉がありますが、まさしくそのバランスから誕生した結晶のようです。そのバランスがなければこのような作品は決して生まれません。
私は敢えて、「心 神技 体」と表現したいと思います。
技は技でも、人間のわざとは思えないような、神のように完璧で極めて優れたわざです。神のようなわざによる芸術。そのような芸術の表現者に出会うたびに、私は嬉しくなります。
神のようなわざを使うことができ、作品の中に人間的な雑念を感じさせない、表現者のことです。
7. 心技体と「癒し」
私はその世界を知りませんが、どの世界であっても権力や名声などと無関係ではないのでしょう。私のように、長年社会との関わりを持たないで生きてきたような人間には想像もつかないような、しきたりやその世界での常識も多々あることでしょう。
ただその中にあっても、本当の自分を見失わずに「心 神技 体」を表現する人たちを、私は日本の方々の芸術作品の中に垣間見ることができ、それがとても嬉しいのです。日本人の手先の器用さと、豊かな表現力と、作品に対する真剣さ、エネルギーを、私は特別なものとして認識しています。
もちろん日本人だけが特別ではありませんが、神技を使うことができる人たちが一定数いることは、日本人の特徴だと思います。
芸術療法、アートセラピーが、表現活動を通した「心の癒し」ならば、これは健康ではない人のためだけにあるものではありません。
「心技体」のバランスに基づいて表現する表現者として、また表現の鑑賞者として、両方の立場から癒されることができるのではないでしょうか。
エネルギーの高い、力のある絵画などの芸術作品が、何気ない日常生活の中の空間に飾られているだけでも、癒されます。空間の場のエネルギーも、変わります。
さて、神奈川県の和風邸宅では、方向性が定まらずにこの1年が過ぎましたが、やっと私がここで表現したいことが見えてきました。近い将来、表現者、鑑賞者、体験、利用者、関わる方々にとって、居心地の良い、意義のある、空間と時間を提供したいと、改めて決意したところです。