Wanomanabi logo

必要なことしか、起きない

目次:

  1. 私が「必要なことしか起きない。」と思う理由
  2. 一般的な解釈

1. 私が「必要なことしか起きない。」と思う理由

この7、8年間、私は専業主婦として子供たちの面倒を見ることだけに専念してきました。
そんな彼女たちも、一番下が今年二十歳になり、今後子供たちを理由にニュージーランドに滞在し続けることも難しくなっていきます。

そこで、日本にも拠点を持とうと考えたのが2年前のこと。昨年末に、神奈川県のある小さな町に拠点を持ちました。

日本に帰国して、歯科医師に復帰するという選択肢もありますが、自由がなくなります。気楽に海外と行き来することもできなくなるし、もう10年以上も離れている職に復帰するのも大変なことです。必要ならばそうなるだろうし、必要がなければ私はこのまま、歯科医師に戻ることはないでしょう。

もう私も半世紀以上生きてきましたが、私の中で圧倒的に足りていないと自覚していることは、社会経験。

自分から誰かに会うこともほとんどしなくなり、じっと家にこもっていることが多かったこの数年間。
大袈裟な言い方をすれば、社会から断絶して、家に篭り続けて、人との関わりもほとんどしない生活でした。

唯一の接点といえば、娘たちが連れてくる友達や彼氏と会話をしたりご飯を一緒に食べたり。彼らが日本人でなければ、英語の練習のため、積極的に話しかけては娘たちに呆れられていました。あの強制が酷かった時には、現地の警察官の息子の彼に、この国の政治家が今やっていることがどういうことなのかを説明して、陰謀論者だと非難されたこともあります。

いきなりそういうことを自分の彼氏に言い出す母親は、娘にとってはさぞかし嫌な存在だったことでしょう。

でも、家に籠っていた時間は、私にとっては実は至福の時で、とても充実してました。
煩わしい人間関係とも無縁、子供たちは大きくなって、もうほとんど手がかからない。私は、大人になってから気づいた音楽の楽しさを満喫していました。

それなのに、わざわざまた活動を始めようと思い立ち、人と関わるという選択をしました。
もちろん、色々と起きます。嫌なことも経験します。こちらは相手のことを思って行動したことでも、結果的に私が悪者にされて非難されることもあります。たったこの何ヶ月の間でも、それはそれはたくさんのことが起きています。

私は人と断絶したり、争いごとを起こしたり、そういうことをしたいわけではもちろんありません。ただ、こちらの真意が伝わらずに結果的にそうなってしまったのなら、それは必要な出来事だと思うのです。

必要なことしか、起こらない。
私にとって必要なことしか、起きない。必要だから、起きる。

そう考えたら、私の目の前から去っていったあの人も、こちらが連絡しても返事を返してこなくなったあの人も、その時は必要だったから関わりがあったけれど、これから先はお互いに関わる必要がなくなったということ。断絶でもなく、争いごとの結果でもなく、ただそういう流れの中で、必要なことが起きているだけ。

もしそのまま付き合いを続けていったら、こちらの意に反する方向へ進んでいたかもしれません。
もうそういう経験はする必要はないよと、そう教えてくれるための数々の出来事。

社会経験がまだまだ足りないからと、敢えて小さな社会で関わりを始めた私。

なぜ積極的に社会との関わりを持とうとしているのか、それは自分の成長のためです。人間は体験から、多くのことを学びます。すべては完璧、必要なことしか起きません。

今回の人生を終えるまでに、今回の人生に必要なことは全部体験して、学んで、次のステップに繋げていきたいと思っています。

人生はあっという間に過ぎていく
人生はあっという間に過ぎていく

2. 一般的な解釈

「必要なことしか起きない」という言葉は、しばしば運命論や因果応報の考え方と関連して用いられます。この考え方は、人生で起こる出来事はすべて何らかの理由があり、最終的には自分にとって必要な経験であるという意味を持っています。

この言葉をどう解釈するかは人それぞれですが、以下のような考え方があります:

  1. 成長のための経験:
    • 人生で遭遇する困難や試練は、自分の成長や学びのために必要なものであると考える。
    • これにより、逆境を乗り越える力や新しいスキルが身につく。
  2. 運命の一部としての出来事:
    • 出来事はすべて運命の一部であり、避けられないものであると考える。
    • この視点では、無駄な抵抗をせずに流れに身を任せることが重要とされる。
  3. ポジティブな視点:
    • 起こる出来事に対してポジティブな意味を見出すことで、心の平穏を保つことができる。
    • 良い出来事も悪い出来事も、最終的には自分にとってプラスになるという信念。

この言葉は、苦しい状況にある人にとって、慰めや励ましとして使われることも多いです。どんな状況でも、自分にとって必要な経験をしていると信じることで、前向きな気持ちを持ち続けることができるからです。