あらゆる困難にも対応できる、意識の向け方 (一)
目次:
- 意識の不思議
- 意識と肉体
- 見えるのが先か、見えないのが先か
- 思ったら、すぐに現れる
- 意識はエネルギー
- 原因と結果の法則
- 病気の原因対処
- 病気という限定
- 意識の力は、何よりも絶大
- そうは言っても。。
- 薬に頼ることも場合によっては必要
- 不思議な奇跡ではなく、これが科学
1. 意識の不思議
誰もが意識を持っています。その誰もが持っている意識について、私たちはそれがどこから来ているのか、何なのか、その正体を知らないで生きています。
意識は脳が作り出していると言う人もいますが、私はそうは思いません。脳が作り出しているのなら、死を迎えて肉体がなくなったら、意識もなくなるでしょう。
でも私は、肉体がなくなっても意識は存在し続けるのではないかと考えています。もちろん、今まで持っていた肉体の誰々さんの意識、ではないのかもしれません。でも意識は形を持たなくても進化し続けて、無限大に広がり続けていくのでしょう。だって、元々意識には区切りなどなく、無限大なのですから。
2. 意識と肉体
私たちは誰もが、意識は見えないけれども確かに存在していることを知っています。
意識を飛ばしてみたら、どこにでも持っていくことができます。富士山の頂上を思い浮かべたら、今その意識をその頂上に飛ばすことができます。私は今ニュージーランドにいますが、つい最近までいた日本の家を想像したら、今この瞬間にそこに意識を持っていくことはできます。宇宙の果てにだって、意識ならば場所をイメージをしながら飛ばすことができます。
肉体を瞬間移動させることはできませんが、意識ならば自由自在です。
私たちは、肉体と同時に意識を持っています。目で見える肉体と、目に見えない意識です。私たちは目で見ている世界の中で、肉体を持ちながら生きていますが、それと同時に、見えない意識の世界でも生きています。
失敗を悔やんでみたり、他人を責めたり。病気になったら、病気のことばかり考えて心配します。それに痛みが伴えば、なおさら忘れることなどできません。
そうやって、自分の意識はいつもどこにあるかということを意識してみると、起きている時間のほとんどを、あまり良いことに使っていないことに気付かされます。何か悩み事があれば、起きた瞬間からそのことを無意識的に考えてしまっていることも、よくあります。
3. 見えるのが先か、見えないのが先か
見える肉体と見えない意識、どちらが先でしょうか。今日は買い物に行こう、と意識してから実行に移します。歯磨きをしようと思って、歯を磨きます。トイレに行こうと意識して、肉体をトイレに連れて行きます。何事も意識が先で、肉体は後です。
では、どちらが大切なのでしょう。
意識がなければ肉体は動かないのですから、意識の方が本当は大切です。意識と肉体の主従関係は、常に意識が主ということになります。しかし、私たちは見える世界に生きているので、見えない世界のこと、つまり意識の世界のことをほとんど無視しています。その大切さに気付かず、生きています。
意識は見えませんから、意識は野放し状態です。どんなに悪いことを思っていたとしても、相手には直接は伝わりません。他の人の心のつぶやきを知ることができたら、きっと大変なことになります。心の中を隠し通すことができるのが、人間の社会です。
4. 思ったら、すぐに現れる
ところが、最近は少し様子が変わってきたように感じています。これは自分の中だけなのかと最初はそう感じていたのですが、どうやら、そうではないような様子です。
世の中の流れが、早くなってきていることに、気付いている人も多いと思います。
世の中の様々な闇の部分が表に出てきて、一般の人たちにも知られるようになってきています。組織など既存のものが壊れていき、世の中の潮目が変わってきている実感があります。
それは紛れもなく、私たちの意識が変わり始めているからです。意識が急速に変わってきているから、それに応じて現実世界も変化するのです。多くの人たちがある一定方向に意識を向けたら、それはとてつもないエネルギーとなって現れることになるでしょう。だから、よく予言や予知などで破壊的なことが言われたりしていますが、それを間に受けて本当に起きると一定数以上の人たちが意識したら、それが本当に起きてしまう危険性を持ってしまいます。
5. 意識はエネルギー
なぜなら、意識は絶大なエネルギーだからです。念の強い人は、自分が思っていることを現実化させて、その人の思い描く成功を実現させることができます。それほど念が強くない人でも、その人の人生はその人自身が作り出しているものです。自分はこんな人生は望んでいない、といっても、結局その人の意識なしには何も動かないわけですから、私たちは一人残らず意識というエネルギーによって現実世界を創り出していることになります。
6. 原因と結果の法則
この法則は、宇宙の法則とも言われています。原因があるからこその結果です。何か目の前で起きていることには必ずその原因があるということです。意識が原因ならば、現実はその結果です。
また意識は原因で、肉体はその結果だという見方もできます。
ちょっと頭が混乱してきますが、つまり、肉体のことばかり考えて対処しようとしても、結果対処にしかなりませんよ、ということです。
例えば、ある病気になったとします。この病気にはこの成分のものが有効だとか、これをしたら良いなど、世の中的には色々な情報と対処方法があるわけです。もちろん、それで病気の症状が良くなることもあります。でも、良くならないこともあります。
それは、なぜなのだろうか、と考えます。
7. 病気の原因対処
情報が間違っていたのか、対処方法が間違っていたのか。人それぞれ症状も体質も違うのだから、同じことをしても効く人もいれば、効かない人がいるのは当然なのではないだろうか。。
そのようにして、無限にある情報、無数にある治療方法の中で、私たちは貪欲に手探り状態で解決方法を探し続けています。本当の解決方法があるのなら、病気などは今頃とっくに減り続けていなければおかしいし、人間は健康でいることが当然だ、という社会になっているはずです。
おかしいではありませんか。これだけ医学や科学が発達していると思われているこの社会で、病人ばかりが増えている現実に疑問を持ちませんか。
私がここで提案したいのは、結果対処ばかりではなく、原因にもっと目を向けてみたら、今までとは違う世界が見えてくるかもしれないということです。
もちろん、例えば病気の原因が食べ過ぎ飲み過ぎならば、その原因を取り除く必要があります。食の偏り、休息不足など、病気には原因がありますから、可能なものはまずは排除します。大気汚染も、有害物質の体内への蓄積など、今この地球上に生きる私たちにとって、原因と思われるものを完全に排除することは無理でしょう。物質的には、です。
しかしさらに遡って、根本的にはその人の意識が肉体よりも上にあるのですから、意識というものに目を向けてみたら、解決策が広がっていくのでは、と考えるのです。
8. 病気という限定
私は、いつも思います。医者に余命宣告をされて、どうしてみんなそれを受け入れてしまうのだろうと。信用できる医者に言われて、そのように受け止めるのが当たり前だからでしょうか。
受け入れるということは、それを自分が認めるということです。当然自分の意識が認めたことですから、その通りに、その方向に向かって現実は動いていくことになります。その結果、医者の言う通りになります。
テレビでそのような場面に出くわすと「医者に、他人の命を限定する権利なんてない。」私はいつもそう呟き、家族からはおかしな目で見られます。
昨年87歳で亡くなられた寺山心一翁さんのことを思い出します。末期癌を克服されて、その体験を元に活動をされていました。
彼は末期癌の際、病院を後にして、自宅で療養されていました。以前読んだ本の中で、一日中「ありがとう。」と呟いていたことが書かれていました。奥さんがお茶を出してくれて、「ありがとう。」何事にもありがとう、ありがとう。そうやって過ごしていたら、末期癌が自然治癒したという実話です。
9. 意識の力は、何よりも絶大
私はこの本を読んだ当初、もう20年くらい前になると思いますが、世の中こんなに不思議なことがあるものなんだと考えていました。
その後、病院で癌だと診断されたけれども、孫の世話に忙しく生活をしていたらその癌がいつの間にか消えてしまったというある方のお話を知りました。「忙しすぎて、自分が癌であることを忘れてしまっていた。」というのです。
また、ある人が体調不良で病院を訪れて、ある場所に何センチの癌が見つかったと診断されました。患者さんはやっぱりそうだったのか、と家に帰り、また何日後かに病院に行きました。
実は、それは誤診だったのでした。レントゲン写真を、医師が他の患者さんのものと取り違えていたのだそうです。しかし、元々癌など何も写っていなかったはずなのに、その通りの大きさの癌を本人が作ってしまったというのです。
またさらに、こんなお話もあります。余命宣告をされた人が、ならば自分のやりたいことをやって過ごそうということで、仕事を辞めて、好きな映画か何かを観ることに明け暮れていたのだそうです。一日中笑って、楽しく過ごしていたら、病気が消えてしまったのだそうです。
このような実話に共通していることは、病気に意識を向け続けなければ、病気は消えるということです。
寺山さんの場合、病気に意識を向ける代わりに「ありがとう」に意識を向けていました。「ありがとう」という言葉の意味が、さらに効果を発揮したのだと思います。
10. そうは言っても。。
ところが、実際にはそんなに簡単な話ではありません。
私も、体験があります。顔中に湿疹が広がって、何ヶ月も治らなかったのです。原因はわかっていたのでやめたのですが、その影響は長引きました。湿疹に意識を向けなければいい、とは言うものの、痒くて不快で、どうにもなりませんでした。それがもし痛みならばなおさらのこと、意識をそこに向けないということには、難しさが伴います。
私の場合、このような状態の時に、あることをしたらすぐに効果が出て、治癒に向かいました。「病気の9割は歩くだけで治る」という長尾和宏先生の本のことを知ったのがきっかけです。歩くだけなら、私でも簡単にできる、9割ならば、治るに違いない。そう思いすぐに実行して、1週間も経たないうちにみるみる湿疹が良くなっていきました。
治ると確信、そう自分の意識が認めて、それを実行した結果です。確かに、歩けば血流が良くなるのですから、物理的な作用は働いたことになります。しかしそれと同時に、実行することによって目に見える効果が出てきて、確実に気持ちが明るくなりました。治るのかな、治らないのかな、ではなく、治ると意識が認めたのです。
11. 薬に頼ることも場合によっては必要
私は、薬のことを全否定するつもりはありません。必要のある時は、最小限、薬に頼ることも必要だと思っています。
たとえ結果対処であろうと、症状が良くなるのでしたら、頼ってもいいのです。症状が快方に向かえば、気分が明るくなります。このまま治ると、希望が持てます。そして自分の中で、これは治ると確信できれば、自然治癒力がさらに発揮されますから、あとは薬に頼らなくてもよくなります。治るという方向に無理なく自分の意識を向けることができるようになれば、もう大丈夫です。
12.不思議な奇跡ではなく、これが科学
意識は見えないものなので、物質科学では証明することが難しく、不思議、奇跡という表現しかできないのが現状です。しかし、これまでお話ししてきたように、意識と肉体の関係は主従関係にあって、意識という見えない世界の方が本来は優位にあるわけですから、見えないものの方が本物の科学です。
最近は量子力学、量子物理学という言葉が一般的に聞かれるようになってきました。この分野の研究がさらに進めば、今まで不思議と言われてきたことが、当たり前の世の中になっていくかもしれません。
天動説が地動説に変わったように、私たちの科学も時代と共に、進化していくはずです。意識の不思議が解明されていくことを、私は楽しみにしています。