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14年前の今日と心の平和

もう14年も経つのですね、私はあの日横浜にいたのですが、結構揺れました。

目の前で患者さんが横になっていて、突然の停電でチェアを起こすこともできず、ご自分で起き上がって出ていかれました。

私にとっては、白衣を着て仕事をした最後の日になりました。

ここ何年かのあのお注射と同じで、日本では「危険だ」と言う人のことは、明らかに非国民扱いでした。チェルノブイリ体験者の講演会に参加したことがある人に、500キロは離れた方がいいと言われていました。なので、テレビを観ていて2回目の爆発があった時に、すぐに手荷物をまとめて、最寄りの新幹線に飛び乗りました。

そこから、今の生活があります。

家族、親戚、仕事関係、ご近所さん、多くの人たちからの嘲笑、批判、説得を受けました。

そんな日本にいることに限界を感じて、私はまだ幼かった子供たちを3人連れて、海外に飛び出しました。何も気にしないで芝生の上に寝転がったり、誰の言うことも気にしないで生活できることは、私にとって本当に気の休まる場所でした。

心穏やかに、平和に、子育てができる環境を与えてくれた夫には、本当に感謝しています。

今では当時の事故のことを、すっかり誰も気にしなくなりました。でも、私はそれが正解だと思います。

意識が、現実を創り出すことを、私は知りました。目に見えない汚染に意識を向け続けることは、その危険性を受け入れてしまうことになります。

この世界では、さまざまな情報が飛び交っています。これを食べると癌になるとか、まさに健康情報だけでも溢れています。
もし、信頼している権威ある人が、これは食べてはいけないと、話していたとします。それを知っていて、食べてしまったとしたら、どうでしょう。大丈夫かな、癌にならないかな、そんな意識が芽生え始めます。

少しくらい食べても問題ないものを、すごく気にして、過剰に反応してそこに意識を向けてしまったら、その影響は大きなものになります。その権威ある人が言う通りに、癌になることを自分が意識するのですから、本当にその人は癌という現実を創り出すことになりかねません。少なくても、気にしない人よりは、その食べ物による影響は大きくなります。

プラシーボ効果というのは、有名なお話です。それと同じことが、現実に起こり得ます。

あの事故後、不思議な現象が起きていたことを、私は知っています。「危険だ!」と、科学的根拠に基づく情報発信をしていた人たちが、次々と病気になったり亡くなったりしていたことです。

「本当だ、やっぱり危険だった。」

確かに、危険でないわけがありません。でも、危険ばかりを意識していたら、その先に病気や死を意識するのですから、その通りになる確率は高くなります。自分の意識が現実を創り出すのですから、意識をどこに向けるかということは、とても大切です。

その逆に「危険ではない!」ともっともらしい科学的根拠を元に、権威のある人が話をすることがあります。それについては、どうなるのでしょう?

あの事故後、大学時代の同級生が「危険ではない!」と公的に主張し始めました。危険だと言っている人たちを批判し、本も出版して、もし私がその人の目の前に現れたらどんなことを言われただろうかと、複雑な気持ちになりました。

危険なものを、危険ではないと言うこと。嘘を権威化するのは、ルール違反です。

・本当のことを言って、注意喚起をすること。
・嘘を言って、根拠なく安全だとアピールすること。
一般の人たちにとって、どちらがいいのでしょう?

嘘を信じて、安心する人がいるのなら、それはそれで良いのかもしれません。なぜなら、本当のことを知ってしまったら、心が耐えられなくなる人もたくさんいます。だから、嘘を信じて、本当のことを言う人を批判して、自分は正しいと信じて心の平安を保つことは、その人にとっては必要なことです。

あの事故も、あの注射のことも、人々の分断を引き起こし、混乱をもたらしました。同じようなことが、繰り返し起きています。

私が今も変わっていないのは、本当のことを知らないと何も始まらない、という考えです。嘘は、嫌いです。騙されることは、屈辱的です。

本当のことを知ったら、事実は事実として淡々と受け止めて、対策できることは対処して、あとは悩まないことです。必要以上に不安になったり、過剰反応していては、損です。

みんな、自分は正しいと思って生きています。だから、自分の常識の枠外のことを主張されたり、強要されたりすることを、極端に嫌います。人間は誰一人、同じ考えの人はいません。人それぞれに、心の平和を保つ基準が異なります。

この14年間で学んだことは、意識を向ける方向の重要性と、心の平和を保つことの大切さです。

私の場合、あのまま日本にいたら心の平和を保つことができなかったであろうことは、明らかでした。みんな、基準が違うのです。だから、批判される筋合いもないし、自分と違うからといって、誰かを批判する必要もありません。

おかげさまで、子供たちも無事成長しました。

母親の心の状態が、どれほど子供に影響を与えるのか、私は身をもって体験しています。様々な体験から多くのことを学んだこの歳月に、無駄なことは一つもありませんでした。

子供と共に、母親として自分も成長できた、あっという間の貴重な14年間でした。