相手に理解してもらうことの難しさ
目次:
1. 久しぶりの投稿
二ヶ月半滞在した日本を離れて、ニュージーランドに戻ってきました。
今はこちらの夏時間で、日本とは4時間の時差なのですが(日本の方が遅い)、戻ってきて1週間ほどは時差の影響を感じていました。朝目覚ましをかけなければ、起きる時間はピッタリと日本時間のまま。しばらくは、起きた瞬間、ここはどこだろうと寝ぼけた状態になっていました。
10年以上もこちらに住んでいるのですから、今の私にとってはニュージーランドの方が快適です。のんびりと、ゆったりと流れているように感じられるここでの時間は、日本では味わうことができないものです。
日本では、たくさんのことがありました。
そして前回同様に、トラブルに巻き込まれた状態で戻ってきました。今回は、雨漏りです。
2. お金さえ入れば、あとはどうでもいい
縁側の天井に何ヶ所か黒いシミができていて、そのシミが拡大するのを防ぐために、原因と対処をお願いしたのが前回の一時帰国の日本滞在中。その後、シミの原因調査のために行った放水試験では、水の侵入は確認されなかったと報告されました。しかし、なぜかその後高圧洗浄機を使用して、シミなど何もなかった部分で、縁側の天井と壁、床が濡れるほどの雨漏りを発生させていたのです。
それをすぐに報告していたのにも関わらず放置されていて、今回私が日本で現地確認をした上で、施工者と関わった建築士を呼び、クレームをしました。ところが、雨漏りを引き起こした当事者たちは、全く悪びれる様子もありません。私がその雨漏りを対処できそうな業者を探し出し、リフォームトラブルの相談機関に電話を入れて、かれこれ10社以上と関わりました。
日本語が通じても、相手がこちらの意図することを理解してくれるかどうかは、別です。日本で日本人相手に話をしているのに、それが、全く通じないのです。実は疲労困憊状態が、今でも続いています。前回は、庭の問題でした。
日本に不動産を持つことが、こんなに大変だったとは、想定外のことです。建物に何か問題が起きた時に、日本ならばすぐに正確に、丁寧に、対処してもらえるものだと勘違いしていました。技術的なこともそうですが、人としての対応がこんなにも雑になったものなのかと、がっかりしています。
お金さえ手に入れば、あとはどうでもいい。
なぜか、そのような人たちばかりが目の前に現れている状況に、こんな繰り返しは早く断ち切らなければと自分自身を戒めているところです。
自分自身が原因を作っている、というのは紛れも無い事実です。ただ、日本に今、余裕がない人たちが増えているということも、事実です。金銭的、精神的余裕がない。とても、残念なことです。
3. トラブルなど、誰も起こしたくない
私は、立て続けに起きるトラブルに、正直うんざりしています。人と関わることさえ、躊躇してしまいます。引き寄せの法則と鏡の法則とやらで説明されるのなら、私自身が彼らと同類だということになります。
うーん、そんなことないんだけれどなあ。
ただ、一つわかったことがあります。私が相手に、付け入る隙を与えてしまったという事実です。何かをするために相手にお金を出してもらう必要があったならば、あらかじめそれをはっきりと伝えておく必要がありました。そして、何かをするためには、こっちがその何かというものをはっきりさせて、主導権を握って、相手に伝えて動いてもらう必要がありました。
こちら側がその具体性を持ち合わせていないから、相手は勝手放題、思わぬ方向に転がっていくことになってしまっていたのだと反省しています。
雨漏りの件も、そうです。こちらが専門家ではなく、また途中で厳しい態度を見せなかったので、甘く見られていたのでしょう。食うか食われるか、なんとも世知辛い世の中です。
それに気付かされるために、似たようなことが繰り返して起きていたことになります。さらにもうひとつ、同じような傾向で起きていた流れに、気づかされた出来事がありました。今回はその話を、勇気を持って中断することにしました。あのまま話が続いていたら、また同じような結果になっていたに違いありません。
かれこれ、このような出来事に事実上振り回された形で、私の今回の日本での滞在が終わることになりました。
4. どちらに目を向けるのか
気分が落ち込んでばかりもいられないので、今までのことは大切なことに気づくための経験だったということで、前向きに進んでいくことにします。
この場で文章を書けなくなってしまったのも、表現する元気がなくなっていたためです。本当はこんな話題を書くのは嫌だったのですが、私も一人の人間として、生きていれば山あり谷あり。全てが上手くいくわけなんて、ありません。
ただ、全体的に見渡せば、奇跡的な良い出会いも、良い出来事も、たくさんありました。山と谷で平坦になっているわけではなく、確実に良いことの方が多いことも実感しています。
ですから、どこに目を向けるかによって、これからの歩みに大きな違いが出てくると思うのです。なんでも、良く受け止める。自分にとって必要のない出来事など、起きないのです。一見マイナスと思われることでも、プラスに変える明るさを持って、これからも歩んでいきたいと思っています。
この半年間、ふらふらとしていた和乃森やまきたの方向性が、おかげさまでやっと定まりました。ここで、私は何をやりたいのか。どのような人たちに、利用してもらいたいのか。たくさんの人たちとの関わりの中で、ようやく見えてきた一本の道です。
和乃森やまきたと同時に、ニュージーランドでの日本文化芸術交流組織の立ち上げも進行中です。これからが、とても楽しみです。お伝えできる時期が来ましたら、改めてこの場でお伝えさせていただきますね。